欧州サッカー戦術&考察!

昔スポナビで運営してたブログサービスの引継いだブログ。ちなみにstramacioniは向こうでのユーザーネームです。

欧州目線の人材評価。

ちょっと時間は空いたが、前回記事にあまりに丁寧で分かりやすく素晴らしいコメントを頂いた(なんと「コメント支持」に5つの良いねがついてた!コメ欄でこの支持数は異例)ので、記事にさせて頂く。

 

◾︎筆者の書いた「若手の過大評価はなんとかならんかね?」に対するコメント

以下、doragra2様のご返答。

コメント失礼します。
自分は長い間外国に住んでいますが、日本とは違い、外国で重視されるのは全てにおいて”結果”です。
努力やそこまでの過程などが評価されるのは日本などの特殊な国であって、基本欧米諸国は”結果”で物事を判断する傾向が強いように思えます。

例えばサッカーにおける監督が先生、選手が生徒だとしましょう。
日々の練習は平日の授業。試合がテストだとします。

特に欧米の先生が生徒を評価する基準として、”日々の練習での努力値”というのはあまり大きな対象ではありません。
成績(評価)の大半は、テスト(試合)やレポート(戦術理解度)の点数が大半を占めるんです。

なのでテスト(試合)に向けて生徒がどれだけ練習を積んできたとしても、本番のテストで結果が出なければ成績は低くなっていくわけで。
逆に日々の勉強(練習)を頑張らなくても結果を出せるタイプ。それが偶然でもそうでなくても、点数を出せればそれでオッケーなのです。

そして奨学金(移籍金と例えましょう)は努力値に関係なく成績がよければ結構な数のオファーが来ます。
なので彼らの学習態度(練習態度)が真面目でも多少そうでなくても、目に見える結果(点数)で欧米の人は判断を下します。

なので”努力に対する敬意が足りない”とかではなくて、彼らが重視しているものが日本人と違うので視点も変わるのだと思います。
もちろんファンは選手をリスペクトしているとは思いますし。

あと若さというのは欧米と日本では結構視点が変わります。
欧米では”若くても結果を出せば”評価され、その評価というのも日本のように”継続した評価”ではなく、”どの期間でもいいので結果を積み上げた時期の評価”になると思います。しかも有望な若者には次々チャンスを与える傾向が強く、”飛び級”っていうのもそこらへんから来ているんだと思います。
日本では若くても飛び級などもなく、選手の評価は”何年か続けて評価を出すこと”にあると思います。

あとはサッカーにおける評価の年齢の違い。
欧州では小さい頃から”神童”と呼ばれる選手がいたり、結構6歳や7歳、10歳頃の年齢から、選手にはスカウトによる評価が始まり、18歳頃にはすでに欧州、または世界全体に名が広まっていることがあります。

対して日本では高校サッカーやユースが注目され、プロによる本格的な評価が下され始めるのは早くても16歳から18歳ごろ。
そこからまたプロに入って評価を上げなくてはいけません。

なので欧州では”小さい頃から15歳ごろまでの評価”があり、そこでトップクラスの評価を得たものが18歳19歳でプロデビューをする。そして活躍すれば”予想通りだ”となって単年での活躍でも移籍金が跳ね上がったり、目に見える結果によってファンの心は奪われていくのではないかと思います。

日本では”早くてもUー12くらいのユースから高校、大学までの評価”が主であり、それはあくまでプロに入るまでの評価で、またプロに入ってから継続して結果を積み上げなきゃいけない。そこに日本人の”結果を出すまでの過程や努力を評価する”という視点が加わり、日本人なりの”努力を評価する”という形が出来上がるのではないかと思います。

長文失礼しました。


posted by doragra2

凄く分かりやすい。

という事で、論点をば。

 

◾︎論点
1、欧米では結果重視
2、努力自体の価値は無い
3、テストの結果は重要
4、年齢は問わず、実力評価(結果評価)
5、評価対象開始年齢が低い。15歳時点で天才と愚物に別けられる
6、評価は低年齢からの「積み上げ式」

さて、見ていこう。

 

⚫︎結果重視


異論なし。
欧米のような「多民族国家」では、明確な「評価基準が必要」。
どういう生まれで、何して〜などと言っていたら、基準がフェアでは無くなってしまう。
国籍、性別、年齢、状況(子供や配偶者の有無を聞いてはいけないなどもある)を「問わず」に「結果」のみで相手を納得させる。
今現在の基準としては「最強の基準」。

 

⚫︎努力は意味なし

 

これは「いっつももめてる話題」の1つ。
例えば、本を50冊読んだ人と、本を2冊読んだ人で、どっちが面白いの書けますか?っつったら、ほぼ確実に「50冊読んだ人」なのよ。
これだけなら、努力=結果。
だがしかし。
稀に2冊読んで面白いのが書ける人がいるのよ。
それはその人の生き方や発想が面白い場合。
その発想や生き方は「努力して生きてきた分」なのよね。
人が取れないリスクを取ったりとか、なんらかの特別な要素がある。
「努力の定義を何にするか?」という話しにも繋がる。
故に、誰がなんと言おうと、個人的には「努力に意味がある」と思ってる。

 

⚫︎テストの結果


これは一見、問題なさそうに見える。
…が、大ありなんだわ。
「テスト内容によって評価が変わる」んだ。
例えば…ケビン・デュラントっつー、今年のNBAファイナルのMVP選手がいる。
この選手はプロに上がる直前のテストでベンチプレス80kgを挙げられなくて、散々に叩かれた。
NBAは80kg×5回以上は挙げられる選手しかいない。

だが、結果はどうだ?
「ファイナルMVP」だ。
…まあウイングスパンが異常にデカいとか、身体能力には恵まれてたりするんだけどね。

こういう事は実生活でもかなりあって、事務能力は低いけど発想力は優れてるとか「適所で使うと評価が一変する」。

もう少し具体的な例を出そうか?
筆者の書いているブログ(別の場所で)のコンテンツで、人気があるのは「ファッション」と「バイク」。
他にも色々書いてるが、アクセスがあるのは「この2つのジャンルが飛び抜けて高い」。

「テストが正しいとは限らない」とは留意すべし。

 

⚫︎年齢は問わずチャンスを得られる


結果主義の1つ。
説明は最初のと被るから割愛。

 

⚫︎15歳が1ライン


これは日本でもそう。
野球なんかでは、強豪校に行けない時点で振り分けがなされる。
「中学で名前が知れているかどうか?」と一緒。
この時点で、抜けも漏れもなく、全ての子供達をチェック出来ているとは思えないので、例外はあり得ると考えるべき。
画一的な判断では、逸材を見逃しかねない。
久保は逸材だが、真っ直ぐに育つ事を期待するのは傲慢。
斎藤佑樹を見ただろう?
そういう事。

 

⚫︎評価は積み上げ式


屁理屈を言えば、「そこに入った年齢」と「テスト内容」によって決まるので、フェアな基準とは言えない。
*入った年齢はマチマチでチャンスの数が違い、テストは内容によって結果が変わるから信用度が低い。
…が「結果は結果」。
その基準において高評価を叩き出したんだから、チャンスはもらえて然るべき。
故に、評価積み上げ式は「正しい」。

 

◾︎まとめ


欧米の基本は「結果」。
という事をご指摘いただきました。

筆者は「努力が出来ない人」なんで、結果を出せる人=努力した人というイメージがある。
例えば「体脂肪率10%を目指す」とする。
その場合、ただ耐えるだけで達成するのは無理なんだよね。
まず最初に生活習慣(酒、タバコ、睡眠やらの不摂生)を見直して基盤を作る。
次に運動習慣を取り入れて、身体を使う習慣の基礎を作る。
そこから食事を見直して、身体の本格改善を図る。
それを半年〜1年間維持し、筋力アップと脂肪燃焼が成された結果、体脂肪率10%が達成できる。
結果としては「体脂肪率10%を達成しただけ」。
だが、そいつが「何をして」「どういう考えでそれをやってて」「いかにして達成したか?」をすっ飛ばして「結果!」って言う事に「物凄く違和感がある」。

達成した理由を知れば「再現性があるかも知れない」。

…まあ色々やってきた結果、個人的には「結果主義に興味がない」。
プロセスが知りたいんだ。
今、結果が出てなくてもいいんだ。
今何をしてて、どういう結果を狙ってて、どういう思考で動いているか?
結果は単なる積み木の一番上。

面白い発想と努力をしている人が好きです♪

では、楽しんで行きましょう♪