サッカーにおける「コミュニケーション」とは?
ずっと不思議だったモノを、一度整理してみようという試み。
そこに至る前提から。
■競技スポーツにおける優先順位。
ここをご覧の皆様は、チームスポーツのご経験がある方も多いかと思います。
そしてそうならば、「勝ちたい試合」というモノもあったと思います。
その時を思い出していただきたい。
その「勝ちたい試合」で、パスを渡したい選手は誰だったか?を。
もちろん、チームメイトとの絆はありますし、積み重ねてきたモノもあります。
では言い換えます。
「ここ一番でパスを出したい選手は誰だったか?」
ムカつくチームメイトであろうとも、実力が確かな奴であった場合どうしたでしょう?
ここにポイントがあると思うわけです。
■コミュニケーション
非言語コミュニケーションが9割、話の内容が1割と言われる「メラビアンの法則」。
割合は…
言語情報(話の内容など):7%
聴覚情報(声のトーンや話の早さなど):38%
視覚情報(見た目など):55%
と言われます。
元々コミュニケーションというのは「異性間」で重要なモノとされ、発展してきたと言われています。
「キスしていい?」と聞く事が無粋であるように、相手の「目」「態度」を見ながら、言語外でのアクションと観察を通じて、そこに至るまでの確認を行う訳です。
●言語
一方のコミュニケーションの代表格として言われる「言語」。
こちらは「定義」を起源とする、「学問」であります。
例えば、今、普通にお伝えしている「サッカー」。
一個のボールを足だけを使って蹴りあい、フィールドは100mで両端にゴールがあって…などと説明しなくても共通のモノを思い浮かべる事が出来ます。
これを言語外コミュニケーションで詳細に伝えようとするならば、膨大な手間と時間がかかってしまいます。
もう一例として「ボールポゼッション率」。
全部で100%とし、時間をチーム割っているから、どちらが優勢か分かるようになる訳です。
このような「定義」を積み重ねて、倫理的思考を可能にするモノが「言語」です。
■サッカーの「コミュニケーション」。
1、選手間
筆者としては、「非言語コミュニケーション」が全てだと思う訳です。
「どういう動きをしたいか?」「どういうボールが欲しいか?」と伝えたところで、「で、ボール持ったらお前何できんの?」という所がメインであり、全てです。
その「何が出来るか?」が認められれば、パスも来るし、周りが動いてくれます。
言語での信頼がいくらあろうと、パフォーマンスの信頼が無ければ意味がないだろうと思う訳です。
2、監督間
こちらは「言語」が重要になります。
と言うのも「監督が言う事」というのは、「戦術」もしくは「個人プレーの改善方法」であり、体系立てて説明される「学問」に他ならないからです。
監督の意図や狙いを理解し、チーム全体としてのパフォーマンスを上げるために、自分がやる事を整理する必要があります。
いくら「ボール持ったらやりますよ!」と言っても、ロナウドやメッシクラスの説得力がなければ自由は許されません。
そのため、監督自身が「言語が喋れない」という場合はハンデになります。
その場合は視覚的な説明(ボード等)を多くして伝える必要があります。
■つまり?
監督間では「言語コミュニケーション」をする必要があるが、選手間では必ずしも必要ない、という事です。
もちろん、日常生活の不便だったり、プライベートで遊びに行く仲間が限定されたりなどはありますが、通訳が付くなら行く前から流暢に喋れる必要はないんじゃないか?と思います。
喋れる事よりも、いつでも自身の実力を確実に証明出来る「メンタル」と「集中力」を鍛える事。
そして、わからない事は通訳を伴ってすぐに確認に行く「やる気」があれば、どこに行っても通用すると思います。
■まとめ
監督の「言語」を理解して、チームメイトと「非言語を通じて」信頼を得ようというお話しでした。
もちろん、「喋れる」事による不利益は何もないので、喋れるにこした事はありません。
メジャーリーグで活躍する日本人選手には、話せない選手も一杯います。
香川はドルトムント移籍後の最初の練習でパスが集まってきた、という有名なお話しがあります。
必要なのは何なのか?
考えて行きましょう。